あー勘違い!!「得点圏打率」


まずは、広島カープならびにファンの方
優勝おめでとうございます(^^)/
昨日優勝するまで足踏みを続けていた
ことに対する記事を書いた直後でしたね。
でも日本一になる可能性は、セリーグの
他のチームにもあるわけだから、
クライマックスシリーズも楽しみですねー

あと全世界のファンが見守る中、大谷選手が
肘の手術に踏み切る事を決意!無事に復活
する事を願います。

さて今日のテーマにまいりましょう。
得点圏打率について何が勘違いなのかです。

「あー勘違い」というセリフは、プロ野球を
間違った見方で、話しているアナウンサーや
解説者の方々、それをまたそのまま受け
入れている視聴者のみなさまに対してのもの
です。
何が間違っているのか?それは、
得点圏打率が高い=勝負強い
という事についてです。
一見問題なさそうですが、この図式は、全く
正確ではないのです。

その事を説明していきましょう。
アナウンサー
「ツーアウトながらランナーを二塁において
糸井選手が打席に入りました!このバッター
は、得点圏打率が3割を越えてますから、
勝負強いバッティングに期待がかかります。」
などというセリフを、何度聞かされたことか。
実は、これほどいい加減な言い方もないん
ですよ。
ぼーっと観てる人は
「それでええんちゃうの?なにが
            おかしいねん?」
などと反論するでしょう。
申し訳ないけど「おかしいねん」。
さてこのような方のために、新たな視点を
紹介しましょう。

まず得点圏という言葉に惑わされすぎなんで
すねー。得点圏にランナーがいるという
ことは「シングルヒット」でもホームに
帰ってこれる可能性の高い二塁、または
三塁、また二、三塁、そして満塁のケース
ですが、ランナーが一塁だけ、またランナー
無しのケースは、当然入りません。
つまりこの一塁のみ、または走者無しの
場面以外の、得点圏にランナーがいる
場合の打率が得点圏打率ということになり、
テレビやラジオでは「勝負強さの目安」の
ように語られますし、視聴者も当然の
ように受け止めてます。
ですが、これは一見正しいように見えて、
全く間違った視点なんですよ。
少し考えれば、すぐにわかります。
このケースを想定してみてください。

アナウンサー
「伝統の一戦、阪神-巨人戦は投手戦に
なりました。
試合は大詰め、9回ツーアウトランナー一塁
!1-0で巨人がリード。マウンドには
盤石の勝利の方程式、木田(ふっるー)が
あがっています。阪神は四球で出た真弓が
一塁に釘付け、ここまで巨人打線を一点に
抑えてきた投手陣に報いることなく、
このまま終わってしまうのか?
さあ3番のバースに対して注目の第一球、
木田のストレートが、吸い込まれるように
ミットの中へ・・・いや打ったー!
大きい!大きい!伸びる伸びる!入った!
入りましたー!逆転サヨナラ2ランホームラン
!さすが、神様仏様バース様、見事な勝負
強さを発揮しましたねー」

解説者
「一発を警戒したかったところですが、木田
にコントロールを求めてもねー。しかも
一塁が詰まってたでしょ。あれも阪神に
とって幸いしましたねー」

などというプロ野球でありがちなケースです
よねー?でもよくよく振り返ってみてくだ
さい、まずこのケース得点圏にランナー
いませんでしたよね?
なんせ一塁に釘づけの真弓選手がいるだけ
なんだから、ということはこのケースは、
得点圏打率には含まれません。
得点圏打率は、あくまで得点圏にランナーが
いる時の打率だからです。
でもこのケース、勝負強いバッティングです
よね?
アナウンサーがいうように、ここ一番あとが
ない状態でゲームをひっくり返してチームを
勝利に導いたわけですら、バース選手の打撃
は、とてつもなく「勝負強い」のです。
しかし、それは得点圏打率には、記録されま
せん。
これでも得点圏打率が勝負強さの目安になり
ますか?

このケースはいくらでも応用ができます。
0-0で勝ち越しホームランを打った場合
とか、ランナー一塁の状態で2塁打ないし、
3塁打を打って、一塁からランナーがホーム
に帰ってきた場合などです。
いずれも得点につながる勝負強い
バッティングですよね?これらも全て得点圏
打率に含まれないのです。
どれほどいいかげんな考え方かわかって
きましたか?
得点圏打率=勝負強さ という考え方が
です。

さらにまだあります。その打席の状況です。
その打撃で入った得点で、同点になるか、
逆転になるか、ゲームの勝敗に大きく影響
するようなケースなのかなどの要素も得点圏
打率は、計算に入れないのです。

逆に今度は得点圏にランナーがいる状態で
当然考えられるケースを想定して
みましょう。
 
アナウンサー「ゲームは終盤一方的展開の
様相を呈してきました。8対1と大きく
巨人が阪神をリード!阪神はあきらめ
ムードの中、若手投手起用で経験を
つませようと源五郎丸投手を送り込み
ましたが、やはりというか、余計に巨人
打線を調子づかせてしまいまして、連打
連打で、この回ノーアウト満塁のピンチを
迎えてしまいました。打席にはこういう
場面にめっぽう強い4番、原辰徳選手が
立ちました・・・・・さて二球ボール球を
見送ったあと、ストライクを取りに来た
球を力一杯叩きました・・・
さあ大きい!どうだ?入るか?入りました!
原!満塁ホームランです!

解説者
「やはりだめ押しというか、相手が弱った場面
でとにかく強い原選手らしいバッテイング
でしたねー。
今度は、ここ一番でこのようなバッティングを
期待したいところです。」

さてさてこれでも得点圏打率が上昇した
ケースなんですよ。
ゲームは、ほぼ決着がついているような
場面で、打ったこの一打、とても勝負強い
バッテイングとはいえないですよねー。
でもこれは、得点圏打率にきっちり含まれる
のです。
さてもう一度ここで質問です、
「得点圏打率」は、勝負強さを計る目安
でしょうか?
もちろん違いますよね?
これまでうっかり勘違いされていた方は、
これで目を覚ましていただけのではないかと
思います。
アナウンサーや解説者の言葉をぼーっと
聞いてうのみにしてたら間違いだらけの
見方で、ゲームを観てしまう危険が
ありますよ。
どうです意外にも盲点だったでしょ?
まだまだありますよー!勘違い!
また別の記事で書いていきますからねー。
よろしくです(^^)/

そうそう蛇足かもしんないけど、0-0の
延長戦でワンナウト3塁のケース、犠牲
フライでサヨナラを打ったバッテイングも
勝負強いですが、なんせアウトですから、
得点圏打率は逆に落ちます。
「そりゃ得点圏にいるケースに対しての打率
だから、アウトになってんだから、ヒット
じゃねーし率も下がるに決まってるじゃ
ねーか!だろっ!」ってこれ誰のせりふー?

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天球の音楽と組曲「惑星」



天球の音楽とピタゴラスシリーズで、
偉大な哲学者でありながら、現代の我々
が使う音階を発見したという、とてつ
もない音楽感性を持っていたと思われる
ピタゴラスが、天球の音楽を、人類史上
初めて聴いたというエピソードをご紹介
しましたが、それ以降の歴史上の科学者
や哲学者、音楽家に至るまで、その
「天球の音楽」は永遠のテーマのように
扱われてきたようです。
時代は、ずーっと進んで、第一次世界大戦
頃にホルストによって作曲された「惑星」
もその天球の音楽のコンセプトが根底に
あったようです。
このような知識は、やはり占星学の日本の
大家でおられる鏡リュウジ氏から、
いただくものです。
またいつものように著書からそのホルスト
について書かれた記事をご紹介させて
いただきたいと思います。

“音楽と占星術には深い関係がある、音楽と
占星術、そして数学は兄弟のような関係に
あるのだ。そのことはこれからじっくり
お話ししていくが、まずここで取り上げたい
のは、グスタフ・ホルストの「組曲 惑星」
である。
 この組曲は有名なのできっとみなさんも
お聴きになったことがあるはずだ。
オーケストラでは聴いたことがないという
方も、平原綾香さんの「ジュピター」の
原曲だといえば、ピンとくるはずである。
   (中略)

この組曲は占星術をもとに作曲されている。
それぞれの曲のタイトルをみれば、占星術の
色合いがはっきりと表れている。

一.火星、戦争をもたらす者

二.金星、平和をもたらす者

三.水星、翼のある使者

四.木星、快楽をもたらす者

五.土星、老いをもたらす者

六.天王星、魔術師

七.海王星、神秘主義者

つまり、惑星の占星術的意味がそのまま
曲のモチーフになっているのだ。
 でも、もしかするとこんな意見を
もたれるかもしれない。
 いやいや、英語での惑星の名前はローマ
神話の神格なんだろう、とくに占星術の
実践と関係なくても、神話的なイメージ
だとすれば、これはもう、ヨーロッパの
人なら当然の教養だから、とくにオカルト
的な占星術とは関係ないんじゃないか、と。
 もっともである。ホルスト自身、自分の
曲が占星術をインスピレーションの元に
しているということをほとんど明言して
いない。しかし、たとえば海王星が
「神秘主義者」(the Mystic)、
天王星が「魔術師」(the Magician)
というタイトルになっていることに
占星術家なら注目せざるを得ない。
海王星の英語名ネプチューンは、ローマ
神話の海の神であって、「神秘家」と
いう側面はない。天王星はウラノス、原初
の天空神であり、「魔術師」などではない。
神話のキャラクターで魔術師を想起させる
存在というと、ウラノスではなくヘルメス
である水星をとりあげるべきだろう。
ヘルメスは知識の神であり、知は魔術と
結びついていた。実際、ヘレニズム時代の
「ヘルメス文書」には占星術や魔術の要素が
多分に含まれているのである。
ネプチューンを「神秘家」だとして違和感
なく納得するには、占星術における海王星の
イメージに馴染んでいる必要があるのだ。
 海王星を「神秘家」として擬人化できる
のは、二〇世紀初頭以降の概念なのである。
ホルストはいったいどこからこの海王星の
イメージを吸収したのであろうか。
 多くの音楽史研究者たちも、ホルストの
惑星のイメージが占星術から来ていること
には気がついていた。だがホルストの
占星術の知識のソースについては、
ながらく明らかにされてこなかった。”
“出典:「占星術の文化誌」
       鏡リュウジ 著
         原書房 刊”

ホルストの占星術の知識は、どこから来る
のか、鏡リュウジ氏が明らかにしておられ
ます。それについてはこのシリーズの
次回ということで。
それにしても、幅広い知識と、深い洞察力
で内容の濃い記事を書かれますよねー。
なるほど、有名な「惑星」という組曲も
占星術をモチーフにつくられたもの
でしたか、私は趣味編でもご紹介して
いるようにバロックには若干詳しくなり
ましたが、肝心の近代のオーケストラの
クラッシックは、本当に有名なもの
しか知りません。
ですがこの「惑星」はやはりさわりの
イメージだけは出てきますので、
やっぱり有名ですよねー。
なので、ホルストの組曲をyou tube
からお借りしてくることにしましたので
よかったら聴いてみてくださいな。
いや自分もバロックくらい短かったら、
まだ完全に聴けるけど、近代の
クラッシックは長く、抑揚のほとんどない
部分が続くと熟睡してしまうので、
はしょって聴きますけどねー。
とにかく、今日引用させていただいた
記事のあとに、またホルストの曲の感想を
まじえながらの記述があるので、
その記事を引用させていただく前には、
大体とばしとばし聴いてみようと思います。
それにしても、火星や土星はさすがに、
古来から凶星といわれるだけあって、
あまり歓迎できないイメージのよう
ですね。
逆に金星や木星は、ずーっと吉星として
知られていたようです。
ただ、占星術に詳しい現代の方なら、快楽は
金星の方だろうという人がいるかも
知れませんが。まあどちらも良いイメージ
には違いありませんよね。
天王星が魔術師というのは、変革をもたらす
星ならではの力強さが感じられますし、
海王星の神秘主義者も、潜在意識深く
入り込む海王星のイメージにぴったり
です。
やはり、占星術の共通認識というのが、歴史的
に感じられて良いですねー。
では下にホルストの「組曲」をお借りしました
ので、よろしかったらどうぞー(^_^)v
ではまた次回ということで(^^)/

ホルスト組曲「惑星」/シャルル・デュトワ

よければこちらもよろしく
お願いします(*^_^*)

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臨死体験者の言葉その15      アニータさんの証言その3

このアニータさんの証言シリーズでは、
臨死体験の中でもまれな「絶対意識
領域」という意識レベルの最高状態に
到達した体験を詳細に分析していって
ます。
以下は、その体験を自身で語った
アニータさんの著書からの引用と
それについての私の考察という形
で進めていきます。
(アニータ女史と書かず、アニータ
さんと書かせていただいているのは、
とてもあたたかい彼女の人柄が、
わかりやすく表現できるように、
親しみを込めた呼び方にしている
からです。)

    ~以下引用~

“私は、周囲で起こっていることに十分気が
ついてました。
あらゆることが同時に起こっているよう
でしたが、自分が何かに注意を向けると、
それが瞬時にクリアに感じ取れました。
 (中略)
私は、病院のベッドに死んだように
横たわっている自分の身体に対して何の
愛着も感じてはいませんでした。それは
自分のもののようには、思えませんでした。
今、私が体験していることに比べれば、
あまりにも小さく、つまらないものに
見えたのです。
私は、自由で解放されたとても素晴らしい
気分でした。苦しみや痛みや悲しみも、全て
消えていました。
もう何も私を妨げるものはなく、こんな
ふうに感じたことは、人生で一度もありま
せんでした。
癌にかかってからの四年間は、まるで自分の
身体の囚人のようでした。けれどやっと
それから解放されたのです。
私は初めて自由を味わっていました。無重力
みたいに、自分がどこでも行けることに
気づき、それが普通のことのように感じられ
ました。まるでこれが物事を認識する本当の
やり方にも思えました。”
  ~引用終了~
“出典:「DYING TO BE ME」アニータ・
ムーアジャニ著 hay house 刊”
“邦訳「喜びから人生を生きる」
    アニータ・ムーア・ジャニ著
       奥野 節子訳
      ナチュラルスピリット刊”

さてこのような証言はつい最近取り上げ
ましたね。
そうです左脳の機能が停止して、右脳だけの
機能しか働かなくなったジル・ボルト・
テイラー博士の体験と酷似しているのです。
彼女は左脳から解放されることにより、
肉体に囚人としてとらわれていた感覚から
解放されたアニータさんと同じような
体験をしていたのです。
テイラー博士の体験をもう一度引用させて
いただきますね。

“そこは本当に素晴らしい世界なのです。
外の世界と自分をつなぐ一切のしがらみ
から完全に切り離されているのです。
想像してみてください、仕事のストレスが
すべて消え、体が軽くなることを。
外の世界とのすべての関係、ストレスの原因
がなくなるのです。平和に満ちあふれた世界
です。
37年間ものさまざまな感情の重荷から解放
されるのです、どんなにそれは素晴らしい
ものでしょう、ああ!”
“出典:「logme ログミー
世界をログする書き起こしメディア」様”

このようにこの解放された感覚は全く同じ
ですね。
もちろん絶対意識領域に入ったアニータさん
は、さらに高い意識レベルに到達して
いますが、左脳から解放されただけで、
テイラー博士は、ニルヴァーナ(涅槃の世界)
にいるようだといっているのです。
つまり私たちは、左脳的な感覚を意識的に
抑えることができれば、右脳が経験する
解放された意識状態になれるという事を
意味しています。

またアニータ女史がいうように、自分自身は
肉体から離れても存在し、またより覚醒
した状態の意識になることを証言してくれて
いるのです。もちろんテイラー博士も
肉体を外から眺める巨大なクジラのような
意識として自分が存在していて、自分が
あまりに小さな肉体に再び戻る事は不可能
だと思ったと語ったおられます。
つまり我々は永遠の存在で、さらに肉体は
自分のとらわれた意識が入っている入れ物
にすぎず、本来の実体である意識は、
とてつもなく巨大だということが、この
タイプの違う体験をしている二人の証言から
読み取れるのです。

私たちは肉体そのものを自分自身だと
思うように常識として、教育やマスコミに
思い込まされてきました。しかし、それは
真実ではなかったという事なのです。
日本人でも昔の人であればあるほど、その
真実を理解していた人の割合が多くなり
ます。
それは明治に入って、西洋の唯物論的教育
(つまり大間違いの教育)が普及したこと
により、だんだんと失われていったという
ことなのです。
また公式の科学的見解も唯物論的解釈を
ベースにしていますので、マスコミは
それに従うことを基本にしています。
しかし、量子物理学が発展してきた事に
より、世界の科学的認識は、公式見解とは
裏腹に大きく転換しかけています。
日本人には、なかなかそれが浸透しない
ようにマスコミや教育で方向づけられて
いるので、そのような概念はほとんど
広まっていません。

我々は、肉体という物質的存在ではなく
意識そのものという存在だったのです。
これを理解するだけでも、私はずいぶんと
解放されました。
みなさんも永遠の意識という存在である
事を知って、人生を貴重な体験として、
逆に味わい深いものとして受け止める
事の方が、豊かに生きられると思います
よ。少なくとも生き延びるために悲壮感
を持って生活をするのでもなく、死の
恐怖におびえるでもなく、老いて全て
が終わるような虚しさからも解放される
というわけなのです。
このような知識がいかに、私たちにとって
貴重かわかっていただけましたで
しょうか?
次回のこのシリーズでは、アニータさん
のさらなる高い意識レベルの体験を
ご紹介します。(^_^)v

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